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AkiSato
仙台放送アナウンサー、テレビ神奈川アナウンサーを経てフリーランスに転向。映像制作のほか実況、司会業も
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あれから24年〜阪神淡路大震災
2019/01/14
1995年1月17日、大学受験を控えた高校3年生だった。
最後の追い込み時期で、机に向かって赤本と対峙していた。
震災のことは、ラジオで知った。
なんでその時間にラジオをつけていたんだろう、その辺の記憶が曖昧なんだけど、
とりあえずラジオから流れてくるアナウンサーやいろんな人の声の調子から
「これは大変なことが起きている」そう実感したことはよく覚えている。
無事に大学受験が済み、入学式を終えたその日に、食堂でたまたま同じ席になった数人。
今でも連絡を取り合う、気の置けない友人たちだ。
そのうちの一人が、兵庫出身のI君だった。
関西の人と話すのが初めてだった私は「アホか!」と言われるたびに、
ギョッとしたことを昨日のことのように思い出す。
東京では「バカ」しか使わないからだ。
ひょうきんなI君は、震災を経験していた。
大学生になって初めて迎えた夏休み、I君に兵庫を案内してもらった。
大阪を過ぎて、車窓からの景色がみるみる変わっていく。
震災から半年の街並みは、自分が想像していたよりもひどく、
三宮のセンター街は通行不可のところがたくさんあった。
東京で感じる「震災」「復興」とはまったく違うものだと感じた時間。
24年前のことだが、その感覚は忘れられない。
人との出会いは様々なことを教えてくれる。
人との出会いにはいろんな意味があるという。
あの日見た景色、感じた思いを胸に、今日を生きる。